不死鳥カラスの傾奇御免!

老舗の製麺所・浅草開化楼の営業担当σ(^o^) フリープロレスラー・不死鳥カラスのラーメンブログです。
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2011.06.02 Thu


※書き上げるまでまだ暫く掛かると思うので、今日から書き加えした際にはTOPに上げるようにします。
 に関しては2/20(日)14:00で固定します。



抗酒剤をしっかり飲んで毎日に臨んでいた親父…


とにかく元から酒が大好きだったし強かった。
俺が子供の頃から、外出すれば移動する先々でビールなど飲んでいた記憶がある。
家では専らウイスキーだった。しかもストレートでグイグイと飲んでもケロッとしていた。
しかし考えてみれば、そんな俺の小さな頃からこの病の兆候は芽生えていたのかもしれない。

『これが俺の唯一の愉しみなんだから』と言って飲む親父に被さるもう1つのイメージ…、

それが一定の量を超えた時、ウイスキーのボトルを取り上げるお母さんの姿…。

それは怒鳴ったり、時に泣き叫ぶようでもあった気がする。
とは言え、言われた親父はしょんぼりしながら素直に言うことを聞いて眠りにつくんだけどね。

そうやって、

親父の全てをお母さんが支えていた。


…ある日。

抗酒剤を飲んでいた筈の親父が突然店を閉めた。
2~3日経ってやっとその状況に気付いた俺が駆け付けると、横たわる親父の周りには酒があった。

「薬飲んでねーのか!?」

思わず怒鳴る俺に、

『薬はもう効かないよ…』

親父に言わせると、最初こそ抗酒剤の副作用への恐怖感で真面目にやっていたが、
良く食べ働き体調も上がってくれば、仕事終わりにお疲れのビールくらい飲みたくなると。
開き直るようにこう言った。

『他に愉しみなんて…ないんだから…』

俺には到底理解出来なかった。

初めはほんの軽い気持ちで口を付け、案の定、薬の副作用で凄いことになったらしい。
そこで止めれば良いものを、どうやら徐々に身体が慣れてきてしまったと言うのだ。

呆れて物も言えなかった。
その時は当然もう薬自体飲んでいない状態だったので、俺はその場で抗酒剤を飲ませた。
そもそも服用してたというのが嘘じゃないかと。薬が効かないわけがない。

「これでもう酒は飲めねぇから!ふざけるのも大概にしろ!!」

吐き捨てて実家を後にした。
翌日やっぱり心配で顔を出した。

『だからもう…効かないんだって…』

親父の周りのワンカップの空き瓶が前日より更に増えていた。

こうしてまた、食べずに痩せ細っていく日々に戻ってしまった。

「頼むから食べてくれ…」

願いは虚しく空回りし続けた。

そんな日々の中でやたらと気になったことがある。酒量が明らかに通院前より増えていた。
そのまま更に1週間…2週間…、
いくら行けと言ってもクリニックにも行かなくなってしまっていた。
このままじゃ…何より体力が続かないと思った。
俺は会社に急な休みをもらった。
ある日、出勤前の早朝実家に寄り、歯止めの効かない状況を目の当たりにして思ったのだ。

こうなったら丸1日監視して、とにかく酒を抜かせるしかないと。
ピッタリ張り付いて、せめて飯だけは食べさせようとしたが駄目だった。

『食べたくない…』

の一点張りだった。しかし、酒だけは翌朝まで完璧に抜かせることが出来た。
睡眠さえも親父の真横の居間の床でだった。1日掛けてじっくりと話した。
出勤前に親父に抗酒剤を飲ませた。

「とにかく。今日夕方俺が帰ってくるまで、どんなことがあっても飲まないでくれ。
 帰ったら一緒にクリニックに行こう」

『分かったよ。ありがとうありがとう…。ごめんねごめんね…お母さん…』

親父は泣いていた。それは信じられる涙だった。俺は安心して出社した。

約束の夕方…。

俺はその時の、親父がいた居間の有り様を今も忘れることが出来ない。
朝片付けて出て行った筈のテーブルの上は、ワンカップの空き瓶で埋め尽くされていた。

愕然とした。

俺に対しての嫌がらせのつもりなのか?!

この野郎、舐めてやがると、心の底から本気で思った。

冷静でなんていられなかった。
部屋を塞ぐ鉄の扉に、俺は自分の頭を思い切り打ちつけた。何度も何度も打ちつけた。
それでも怒りは収まらない。

「なんでわからねぇんだ!!!」

冷蔵庫、システムキッチンの扉、食器棚…あらゆるところを立て続けに破壊した。

『やめてくれよ…』

力ない声で泣く親父。
その頭に、行平鍋いっぱいに注いだ冷水をぶっかけた。

「立て。…病院行くぞ」

引き摺り起こしてタクシーに乗せた。

この時、抗酒剤が効かない段階で自ずと道は決まっていた。先生は俺にこう言った。

「息子さん…申し訳ないけどこちらではこれ以上どうしてやることも出来ない…。
 アルコール専門の病院があります。そちらに相談…いや、入院するのが最善だと思います」

紹介状を書いてくれた。

結果を受け、親父を連れて実家に戻った。
弟も事の成り行きを説明する為に呼び寄せて、家族3人の会議…。

『ごめんね…ごめんね…』力なく泣く親父。
これまで幾度となく繰り返し見せられてきたその情けない光景に、俺は切れた。

「謝るな!何がアル中だよ?!そんな情けない病気で入院だ?!ふざけるな!
 テメーを病院に入れる日が最初で最後、俺は見舞いなんて絶対行かない!!
 そんなモン、病気なんかじゃねぇ、クソ野郎!!!」


迎えた入院当日…。


親父が入院したのは、成増厚生病院。全国でも数少ないアルコール専門病棟を持つ民間病院だ。
最終的な診察を受け、一切疑いの余地もなく即入院することになった。
付き添いの俺らはそのまま家族会へと出席、この病気について決定的な現実を知ることになる。
それは…、

現代の医学でアルコール依存性を治すことは出来ないということ。

ショックだった。

ただ、希望の光は全くないわけではない。
現実にこうして入院してくる患者の内、約2割だけはこの病気を克服し社会復帰するのだと。
それは、アルコール依存性という病気自体は治らないが、進行を止め、回復することは出来ると。

方法はただ一つ、酒を一切断つこと。

アルコール依存性はコントロール障害であり、つまりは自制が効かなくなってしまうのだ。
一口付けたら一巻の終わりでストップが効かなくなる。少々たしなむなんてことはそもそも出来ない。
だから道は『断酒』以外にないのだと。

また、この病気は俺が受けていたのと同様、
家族の心身を巻き込み振り回していく病気なのだと説明を受けた。

『だから家族の皆さんがこの病気を知ることがいちばん大切なことなのです』

先生は何度も繰り返して言った。

何とも重たい心で会場を出る。
外には、入院の覚悟を決め部屋着に着替えた親父が申し訳なさそうに待っていた。

「まぁとにかく。なんもかんも忘れて頑張れよ。それしかないんだから」

それしか言えなかった。

別れ際、親父が泣いていた。別れを惜しむように、寂しそうに泣いていた。
俺にはその姿が、最後の入院をしていた時のお母さんに被って見えた。

お母さんには、俺は最後まで親不孝のまんま逝かれてしまった。
『頼むからお前が…』と、親父の全ての支えだったお母さんの声が聞こえたような気がした。

翌朝出社して直ぐ、俺は専務に休みを移してもらうお願いをした。
これから入院の3ヶ月間、毎週金曜日に開かれる家族会に参加するために。

見舞いなんか行くもんかと言ったけど…

今度は俺が支えてやるしかないと思ったから。


3ヶ月に渡る入院…、最大の利点はその間患者から完全に酒を抜けさせてくれるということ。
病気自体は治らない訳だから退院後はあくまで本人の意思次第…つまり、
入院の意味は3ヶ月の強制断酒をしてくれることだけに尽きる。
ぶっちゃけ俺はそう言っても良いと思う。

事実、親父の体力はみるみる回復していった。

痩せ細っていたのがまるで嘘のように、頬がふっくらしていった。

『他に何にもないからさ、ご飯の時間だけが楽しみなんだよ。
 みんな食が細いから他の人の分までもらってたら太っちゃった(笑)』

会う度そんな風に言っていた。
そして週を重ねる度に、俺のアルコール依存症に関する知識も増えていった。


元はみんな真面目な人ばかりでね、真面目な人ほどこの病気にはかかりやすい傾向があるんです…


ある時。
家族会が終わった後、いつもは外で待っている親父の姿が見えないので病室の方へ行くと、
親父は患者の作る列の中にいた。列の前には看護師さんの姿、何やら順番待ちのようだった。
そして自分の番が終わるとようやく、俺の姿に気付いて駆け寄ってきた。
手に携えていたカードを俺に見せ、

『スタンプもらうのに並んでたんだ』

とても嬉しそうに言った。
それから一緒に煙草を吸いながら、親父が俺に何とも悲しい台詞を吐いた。

『分かったんだ、やっぱり私は…』


何か課題を与えるとそれをクリアした証明にカードにスタンプを押してあげるんですね。
この病気の人はそういうのがとっても嬉しいんだなぁ。
元が真面目だからまるでね…夏休みのラジオ体操に参加する小学生みたいなんですよ…


『分かったんだ、やっぱり私はあの人達(他の患者)とは違うって。アル中なんかじゃないんだよ』

あぁコイツまだ何も分かってねぇ…と、俺は落胆した。
ただ、それでも強制の断酒で着実に回復していく親父の姿が何より嬉しかった。

そして入院から3ヶ月…、
親父は万全の体調を以て退院した。


退院後は2日と空けず店を再開したと記憶している。基本は仕事人間だからね、
入院という避けられない状況とはいえ、自分の生業を怠けてしまった事実が許せなかったんだろう。

親父が家を空けてる間は俺もとにかく大変だった。
早朝の出勤前とバイト前の夕方に3ヶ月毎日飼ってた犬の散歩、加えて毎週金曜は病院の家族会。
そう、この頃は開化楼の他に夕方から夜の22時過ぎまで週5で宅急便のバイトまでしてたからね、
ぶっちゃけテメーのことだけで目一杯だったんだ。
散歩と病院から解放された時はマジ嬉しかったなぁ。今でも我ながらあの頃は良くやってたと思う。

さて。

入院に伴う強制断酒による回復で立ち直り仕事を再開した親父だが、
元気な姿とは裏腹に、早い段階から俺には不安に思うことが一点あった。

退院したアルコール依存症患者が集う会がある。その名もズバリ『断酒会』という。
日本全国で行われているから、居住地の近くの断酒会も簡単に調べることが出来る。
『断酒会』、要はこういうことである。

退院後は病気に関しては全て自分の責任だ。
元から弱い意思の人間達ばかりだが、入院で酒を飲まなければ病気が回復することだけは覚えた。
誰より弱い意思の自分一人じゃ無理かもしれないけど、
同じ悩みを持った仲間達と一緒なら乗り越えられる気がする。
さぁ、みんなで定期的に集まり励ましあって、一緒に酒をやめ続けよう!

…というね。病気と患者の本質を見抜いた素晴らしい集いと思う。
患者は入院中から正規な外出許可を得て、主に数人のグループ単位でこの断酒会に参加していく。
退院後も自然とその輪に入れるように。

しかし退院後、親父はただの一度として断酒会に参加しようとはしなかった。
『店を休んでまでそんな時間を割く暇はない』というのが最もらしい親父の言い訳だったが、

実際は違った。

つまりは入院中に良く言っていたこと。

『私はあの人達(他の患者さん)とは違う。私はアル中なんかじゃない』


親父の最大の不幸は、揺るがない医師の診断と入院を経てもなお、
頑として自分の病気を理解出来なかった、理解しようともしなかったこと。

そのまま逆らいようもなく、自然の波に流されていく。





(つづく)
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COMMENT

2011.03.05 Sat

FROM: 石川浩二
分かるか? お袋さんいつ亡くなったんだ?  内も、昨年3月にお袋が亡くなったんだ。  今は、足立区役所の近くに住んでいるよ!
DATE:  2011-03-05 23:56  *edit 

2011.03.06 Sun

FROM: 負死鳥からす
>石川浩二
おー石川元気かよ!同窓会も来てなかったから心配してたよ。

そっか、お母さん大変だったね。ご冥福をお祈りします。
俺はちょうど10年前だったから。。男には辛い別れだよね。

また会おうな(^ー゚)ノ
DATE:  2011-03-06 08:35  *edit 
Skin:Babyish
 
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