不死鳥カラスの傾奇御免!

老舗の製麺所・浅草開化楼の営業担当σ(^o^) フリープロレスラー・不死鳥カラスのラーメンブログです。
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2011.06.02 Thu


※書き上げるまでまだ暫く掛かると思うので、今日から書き加えした際にはTOPに上げるようにします。
 に関しては2/20(日)14:00で固定します。



抗酒剤をしっかり飲んで毎日に臨んでいた親父…


とにかく元から酒が大好きだったし強かった。
俺が子供の頃から、外出すれば移動する先々でビールなど飲んでいた記憶がある。
家では専らウイスキーだった。しかもストレートでグイグイと飲んでもケロッとしていた。
しかし考えてみれば、そんな俺の小さな頃からこの病の兆候は芽生えていたのかもしれない。

『これが俺の唯一の愉しみなんだから』と言って飲む親父に被さるもう1つのイメージ…、

それが一定の量を超えた時、ウイスキーのボトルを取り上げるお母さんの姿…。

それは怒鳴ったり、時に泣き叫ぶようでもあった気がする。
とは言え、言われた親父はしょんぼりしながら素直に言うことを聞いて眠りにつくんだけどね。

そうやって、

親父の全てをお母さんが支えていた。


…ある日。

抗酒剤を飲んでいた筈の親父が突然店を閉めた。
2~3日経ってやっとその状況に気付いた俺が駆け付けると、横たわる親父の周りには酒があった。

「薬飲んでねーのか!?」

思わず怒鳴る俺に、

『薬はもう効かないよ…』

親父に言わせると、最初こそ抗酒剤の副作用への恐怖感で真面目にやっていたが、
良く食べ働き体調も上がってくれば、仕事終わりにお疲れのビールくらい飲みたくなると。
開き直るようにこう言った。

『他に愉しみなんて…ないんだから…』

俺には到底理解出来なかった。

初めはほんの軽い気持ちで口を付け、案の定、薬の副作用で凄いことになったらしい。
そこで止めれば良いものを、どうやら徐々に身体が慣れてきてしまったと言うのだ。

呆れて物も言えなかった。
その時は当然もう薬自体飲んでいない状態だったので、俺はその場で抗酒剤を飲ませた。
そもそも服用してたというのが嘘じゃないかと。薬が効かないわけがない。

「これでもう酒は飲めねぇから!ふざけるのも大概にしろ!!」

吐き捨てて実家を後にした。
翌日やっぱり心配で顔を出した。

『だからもう…効かないんだって…』

親父の周りのワンカップの空き瓶が前日より更に増えていた。

こうしてまた、食べずに痩せ細っていく日々に戻ってしまった。

「頼むから食べてくれ…」

願いは虚しく空回りし続けた。

そんな日々の中でやたらと気になったことがある。酒量が明らかに通院前より増えていた。
そのまま更に1週間…2週間…、
いくら行けと言ってもクリニックにも行かなくなってしまっていた。
このままじゃ…何より体力が続かないと思った。
俺は会社に急な休みをもらった。
ある日、出勤前の早朝実家に寄り、歯止めの効かない状況を目の当たりにして思ったのだ。

こうなったら丸1日監視して、とにかく酒を抜かせるしかないと。
ピッタリ張り付いて、せめて飯だけは食べさせようとしたが駄目だった。

『食べたくない…』

の一点張りだった。しかし、酒だけは翌朝まで完璧に抜かせることが出来た。
睡眠さえも親父の真横の居間の床でだった。1日掛けてじっくりと話した。
出勤前に親父に抗酒剤を飲ませた。

「とにかく。今日夕方俺が帰ってくるまで、どんなことがあっても飲まないでくれ。
 帰ったら一緒にクリニックに行こう」

『分かったよ。ありがとうありがとう…。ごめんねごめんね…お母さん…』

親父は泣いていた。それは信じられる涙だった。俺は安心して出社した。

約束の夕方…。

俺はその時の、親父がいた居間の有り様を今も忘れることが出来ない。
朝片付けて出て行った筈のテーブルの上は、ワンカップの空き瓶で埋め尽くされていた。

愕然とした。

俺に対しての嫌がらせのつもりなのか?!

この野郎、舐めてやがると、心の底から本気で思った。

冷静でなんていられなかった。
部屋を塞ぐ鉄の扉に、俺は自分の頭を思い切り打ちつけた。何度も何度も打ちつけた。
それでも怒りは収まらない。

「なんでわからねぇんだ!!!」

冷蔵庫、システムキッチンの扉、食器棚…あらゆるところを立て続けに破壊した。

『やめてくれよ…』

力ない声で泣く親父。
その頭に、行平鍋いっぱいに注いだ冷水をぶっかけた。

「立て。…病院行くぞ」

引き摺り起こしてタクシーに乗せた。

この時、抗酒剤が効かない段階で自ずと道は決まっていた。先生は俺にこう言った。

「息子さん…申し訳ないけどこちらではこれ以上どうしてやることも出来ない…。
 アルコール専門の病院があります。そちらに相談…いや、入院するのが最善だと思います」

紹介状を書いてくれた。

結果を受け、親父を連れて実家に戻った。
弟も事の成り行きを説明する為に呼び寄せて、家族3人の会議…。

『ごめんね…ごめんね…』力なく泣く親父。
これまで幾度となく繰り返し見せられてきたその情けない光景に、俺は切れた。

「謝るな!何がアル中だよ?!そんな情けない病気で入院だ?!ふざけるな!
 テメーを病院に入れる日が最初で最後、俺は見舞いなんて絶対行かない!!
 そんなモン、病気なんかじゃねぇ、クソ野郎!!!」


迎えた入院当日…。


親父が入院したのは、成増厚生病院。全国でも数少ないアルコール専門病棟を持つ民間病院だ。
最終的な診察を受け、一切疑いの余地もなく即入院することになった。
付き添いの俺らはそのまま家族会へと出席、この病気について決定的な現実を知ることになる。
それは…、

現代の医学でアルコール依存性を治すことは出来ないということ。

ショックだった。

ただ、希望の光は全くないわけではない。
現実にこうして入院してくる患者の内、約2割だけはこの病気を克服し社会復帰するのだと。
それは、アルコール依存性という病気自体は治らないが、進行を止め、回復することは出来ると。

方法はただ一つ、酒を一切断つこと。

アルコール依存性はコントロール障害であり、つまりは自制が効かなくなってしまうのだ。
一口付けたら一巻の終わりでストップが効かなくなる。少々たしなむなんてことはそもそも出来ない。
だから道は『断酒』以外にないのだと。

また、この病気は俺が受けていたのと同様、
家族の心身を巻き込み振り回していく病気なのだと説明を受けた。

『だから家族の皆さんがこの病気を知ることがいちばん大切なことなのです』

先生は何度も繰り返して言った。

何とも重たい心で会場を出る。
外には、入院の覚悟を決め部屋着に着替えた親父が申し訳なさそうに待っていた。

「まぁとにかく。なんもかんも忘れて頑張れよ。それしかないんだから」

それしか言えなかった。

別れ際、親父が泣いていた。別れを惜しむように、寂しそうに泣いていた。
俺にはその姿が、最後の入院をしていた時のお母さんに被って見えた。

お母さんには、俺は最後まで親不孝のまんま逝かれてしまった。
『頼むからお前が…』と、親父の全ての支えだったお母さんの声が聞こえたような気がした。

翌朝出社して直ぐ、俺は専務に休みを移してもらうお願いをした。
これから入院の3ヶ月間、毎週金曜日に開かれる家族会に参加するために。

見舞いなんか行くもんかと言ったけど…

今度は俺が支えてやるしかないと思ったから。


3ヶ月に渡る入院…、最大の利点はその間患者から完全に酒を抜けさせてくれるということ。
病気自体は治らない訳だから退院後はあくまで本人の意思次第…つまり、
入院の意味は3ヶ月の強制断酒をしてくれることだけに尽きる。
ぶっちゃけ俺はそう言っても良いと思う。

事実、親父の体力はみるみる回復していった。

痩せ細っていたのがまるで嘘のように、頬がふっくらしていった。

『他に何にもないからさ、ご飯の時間だけが楽しみなんだよ。
 みんな食が細いから他の人の分までもらってたら太っちゃった(笑)』

会う度そんな風に言っていた。
そして週を重ねる度に、俺のアルコール依存症に関する知識も増えていった。


元はみんな真面目な人ばかりでね、真面目な人ほどこの病気にはかかりやすい傾向があるんです…


ある時。
家族会が終わった後、いつもは外で待っている親父の姿が見えないので病室の方へ行くと、
親父は患者の作る列の中にいた。列の前には看護師さんの姿、何やら順番待ちのようだった。
そして自分の番が終わるとようやく、俺の姿に気付いて駆け寄ってきた。
手に携えていたカードを俺に見せ、

『スタンプもらうのに並んでたんだ』

とても嬉しそうに言った。
それから一緒に煙草を吸いながら、親父が俺に何とも悲しい台詞を吐いた。

『分かったんだ、やっぱり私は…』


何か課題を与えるとそれをクリアした証明にカードにスタンプを押してあげるんですね。
この病気の人はそういうのがとっても嬉しいんだなぁ。
元が真面目だからまるでね…夏休みのラジオ体操に参加する小学生みたいなんですよ…


『分かったんだ、やっぱり私はあの人達(他の患者)とは違うって。アル中なんかじゃないんだよ』

あぁコイツまだ何も分かってねぇ…と、俺は落胆した。
ただ、それでも強制の断酒で着実に回復していく親父の姿が何より嬉しかった。

そして入院から3ヶ月…、
親父は万全の体調を以て退院した。


退院後は2日と空けず店を再開したと記憶している。基本は仕事人間だからね、
入院という避けられない状況とはいえ、自分の生業を怠けてしまった事実が許せなかったんだろう。

親父が家を空けてる間は俺もとにかく大変だった。
早朝の出勤前とバイト前の夕方に3ヶ月毎日飼ってた犬の散歩、加えて毎週金曜は病院の家族会。
そう、この頃は開化楼の他に夕方から夜の22時過ぎまで週5で宅急便のバイトまでしてたからね、
ぶっちゃけテメーのことだけで目一杯だったんだ。
散歩と病院から解放された時はマジ嬉しかったなぁ。今でも我ながらあの頃は良くやってたと思う。

さて。

入院に伴う強制断酒による回復で立ち直り仕事を再開した親父だが、
元気な姿とは裏腹に、早い段階から俺には不安に思うことが一点あった。

退院したアルコール依存症患者が集う会がある。その名もズバリ『断酒会』という。
日本全国で行われているから、居住地の近くの断酒会も簡単に調べることが出来る。
『断酒会』、要はこういうことである。

退院後は病気に関しては全て自分の責任だ。
元から弱い意思の人間達ばかりだが、入院で酒を飲まなければ病気が回復することだけは覚えた。
誰より弱い意思の自分一人じゃ無理かもしれないけど、
同じ悩みを持った仲間達と一緒なら乗り越えられる気がする。
さぁ、みんなで定期的に集まり励ましあって、一緒に酒をやめ続けよう!

…というね。病気と患者の本質を見抜いた素晴らしい集いと思う。
患者は入院中から正規な外出許可を得て、主に数人のグループ単位でこの断酒会に参加していく。
退院後も自然とその輪に入れるように。

しかし退院後、親父はただの一度として断酒会に参加しようとはしなかった。
『店を休んでまでそんな時間を割く暇はない』というのが最もらしい親父の言い訳だったが、

実際は違った。

つまりは入院中に良く言っていたこと。

『私はあの人達(他の患者さん)とは違う。私はアル中なんかじゃない』


親父の最大の不幸は、揺るがない医師の診断と入院を経てもなお、
頑として自分の病気を理解出来なかった、理解しようともしなかったこと。

そのまま逆らいようもなく、自然の波に流されていく。





(つづく)
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2011.02.20 Sun


この項、個人的な区切りの日記で重くなると思うから、どうぞパスしてください。
色んなことを思い返しながら自分で読み返し、時間掛けて修正し綴っていきます。



俺は町の中華屋を営む両親に育ててもらった。
今俺がこうして浅草開化楼にいるのもそれが縁になる。

皮から伸す手作り餃子が売りで、子供の頃は相当忙しかった記憶がある。
長男の俺が生まれたのは両親が今も在る浅草3丁目の本店から独立し、




初めて持った浅草寿町の借家の店だったが、
二人は努力し、俺が幼稚園に上がる頃には北区の上中里に初の持ち家を購入、
それから10年も掛けず、俺が小学5年の時に更に高値だった今の台東区松が谷に家を買った。
両親にとっては二人が出会い共に修行した浅草への凱旋みたいなもんだった。
豚カツ屋の居抜きを改造したその店は僅か6年後…、現在の5階建てのビルになった。




親父は中学を卒業して直ぐ、故郷富山から単身上京してきたのが始まりだから、
今の世の中からすれば考えられないくらいのサクセスストーリーと思う。
俺と弟、二人の兄弟を何の不自由もなく立派に育ててあげてくれた、心から尊敬出来る両親だ。

子供の頃を思い出すと、両親は絶えず夫婦喧嘩をしていたような気がする。
原因はただ一つ、親父はとにかく店に入ると仕事の鬼と化し、母への態度が変わるんだと。
それを『あんなの人としての扱いじゃない』と受け止め切れない母が、『謝るまで許さない』と
ストライキを起こして店の仕事を放り出し、2階のテーブルで時に涙を流していた。
仕事を外れれば、本当に仲の良い夫婦だったんだけどね。

時に自分の気持ちを決して殺さずに表へ出した母は、全ての面において親父の心の支え…、
いや、親父の全てだった。

そんな母が今から10年前、癌で亡くなった。まだまだ若い、56歳だった。
後にも先にも、俺の人生において最も辛く悲しかった出来事である。

が、親父の受けたショックと心に空いた穴は、俺などの比ではなかったのだろう。

一人残された父は、そこから一気に堕ちていった。


最愛の母が亡くなった時、俺は知り合いのサイトのメールマガジンでコラムを書いていた。
母の死に触れた2つの文をここで読み返してみる。



2001年3月26日(月)

「大好きなお母さん」

僕の最愛の母が病の床にいる。
6年前に乳癌になり、その際にリンパ腺への転移が認められ、
以後今日まで様々な箇所に転移を繰り返しながらも
その都度抗癌剤やホルモン剤を投与しながら
こうして倒れる直前まで気丈に働いて…。
乳癌切除以来2度目のこの入院で病院から出た結論。

母の身体に効く薬はもうない。
これ以上強い抗癌剤の投与の副作用に母は耐えられない。
痛みを取る為の薬だけを与える。
延命治療はしない。

見放しである。

こうして母は現在、実家のベッドにいる。
実家に戻って1日目で歩けなくなった。
それまでは歩行器を使ってかろうじて歩けていたのに、
トイレに無理をして一人で行き、
左足の大腿部を骨折。
骨自体が弱りきっているのだ。
黄疸が出て、白目がまっ黄色に…。
モルヒネの服用の繰り返しで、たまにする会話さえ、
まともなものではない。

正直言って今、急な時間の問題です。
思えばこの31年間、親不孝のし通しだった。
このままお別れになってしまう。
そう思うと、涙が止まらない。
最大の親不孝が、プロレスだった。

3月31日からの大仁田興行が目前ではありますが、
母の身体がそこまでもつかどうか、
正直、分かりません。
ただ、僕は母の人生を背負って、
リングに立つつもりです。

叶うことならば、母の痛みを全部僕が受け止めてあげたい。
大好きなお母さん。
もう1度元気になってくれるのならば、
僕は本当に、
死んでも良い。
神様がいるのなら、
時間を戻してください。
今から奇跡を起こしてくれと、
言えないくらい切羽詰まった状況に、
腹が立つ。
今のこの発達した世の中でありながら、
人間の力なんて、クソみたいなもんです。
現代医学なんてクソ食らえです。

もう今回は支離滅裂です。
みなさん本当にごめんなさい。


2001年4月2日(月)

今まで生きてきて、これ程辛い思いをしたことはなかった。
2001年3月31日(土)午後0時15分、
最愛の母が僕の目の前で静かに息を引き取った。

自分のメインのリングである大仁田興行の試合を、
今回デビュ-以来初めて休んだ。

こんなにも早く母が天国に逝ってしまうとは正直思っていなかった。
でもとにかくこの2日間の地方巡業で、
東京を離れることだけはしたくなかった。
母の側にいたかった。

僕が母のベッドに到着してから、僅か5分後の出来事だった。
まるで、僕が来るのを待っていたかのように…。
思えば、母には苦労の掛け通しだった。甘えっぱなしだったと思う。

会う度に、なんかしら口喧嘩していた。
でもいつの日か、
「お前にだけは言いたいことが遠慮なく言えるんだよね」と言ってくれた。
僕も、いくら喧嘩しても、心や実際の距離が離れたとしても、
もっともっと根っこの部分で、母だけは理解してくれていると思っていた。

実際そうであった。
母がやはり僕のいちばんの理解者だったと今更ながらに思う。
もう効く薬がない、よって延命治療はしない、
痛みだけを取り去る麻薬だけを投与するという、
残酷な最後の入院生活のお見舞いに行った時、
2人きりの病室の中で、母が言った。

「家族みんなで助け合って仲良く生きていってね。
あとは『ありがとう』だけ。遺言があるとすれば」と。
「な~に言ってるの!!」
僕がそう答える程に、母はまるで冗談めかしに笑って言った。

病院が見放す状態で退院し、大好きな自分の家のベッドで、
日に日に具合が悪くなっていく姿を見るまでは、
母の死のことなど、想像もできなかった。

今、母はお父さんと2人で最後の夜まで眠っていたダブルベッドの上で、
まるで眠っているかのような穏やかな美しい顔で、
信じられないくらい冷たくなっている。
しかし、そんな亡骸になった今の姿でも、愛しくて、母が愛しくてたまらない。

涙が止めどなく、流れてくる。
最後まで甘えっぱなしのダメ息子だと思う。
だけど、悲しくて、悲しくて、悔しくて堪らないのだ。

もう1度、ゆっくり会話したい。

もう1度だけでいい。僕を叱ってほしい。

もう1度、抱き締めて欲しい。

もう1度…。



そう…、

この母の死から、一気に親父は堕ちていった。
『抜け殻』『廃人』などという、情けなさ過ぎる言葉が似合うくらいに…。


母の葬儀が終わり暫く…ようやく気持ちが落ち着いてから、親父は店を開けた。
夫婦でやってた頃の出前を止め、たった一人での再開だった。

生まれつきキチッとした性格だった。
風邪で臨時休業などした記憶はない、とにかく働くのが生き甲斐な根っからの仕事人間だった。
また、男なのに誰よりも綺麗好きで、母が亡くなった後も店も家もピカピカだった。

そんな親父がある時から、急に店を休むようになった。
身体でも壊したのかと心配して電話すると、『朝起きれなかったから』と言う。
性格上、きっと寝坊した自分も許せなかったんだろうと思った。
しかしその休みは、翌日以降も続いていく。

近くに住んでいた俺は、ある日様子を見に行った。

親父は泣いていた。

母の死のショックから、未だ立ち直ることが出来ずにいたのだ。

母の写真に向かって手を合わせ『ごめんねごめんね』と、何度も繰り返しながら泣いていた。

元々涙もろくはあったけど…、
聞けば食事を一切摂っていないと言う。傍には、大好きな酒があった。

『自分で気が付いたらまたしっかり店やるから』

その言葉通り数日後、親父は再び店に立った。
しっかり働けば毎食丼飯で人一倍良く食べるのだ。
休んでいる間全然食わずに痩けていた頬も元に戻ってふっくらと。いつもの元気な親父だった。

が、安心したのも束の間…、
それからひと月も経たずに、親父はまた店を閉める。

『お母さん、ごめんねごめんね』

手を合わせて泣いていた。
何も食うことが出来ずにまた1ヶ月…、
ふと気付いたように営業を再開する。

『もう大丈夫だから』

しかし、そんな休業と再開の繰り返しはその後も終わることはなかった。そして…、
その休業が3度目くらいになってようやく、俺は親父の異変に気付く。

日々見る見る内に身体が痩せ細っていくのを目の当たりにする。
今回もまた、食事を一切断っていた。

『何も食べたくない…。食べる気力がない…』

親父はそう呟いたが、幾ら何でも人は食べなきゃ生きてはいけない。
この頃の…いや、これから先もずっと長いこと親父の体力が保っていたのは、
ただ両親に丈夫に産んでもらったことに尽きると思う。
他に栄養が摂れるものと言ったら、米で出来た酒くらいしかなかったから…。

食べないだけではなかった。
誰より綺麗好きな筈の親父が、風呂に入らないばかりか着替えさえしない…。
更に周りが汚れても片付けもしない、部屋は瞬く間にゴミ屋敷のようになった。
何をするでもなく、ただ居間の床に横になり、部屋の一点を見詰めて泣いていた。

どこからどう見たって異常だった。俺は何もしなくて良い、ただ頼むから食べてくれと言った。

この頃から、親父は度々『死』を口にするようになる。

『死にたいんだよ…。お父さん…鬱病になっちゃったのかな…』

それが『助けてくれ』という心の叫びに聞こえた。
もう、俺の頭ではどうしてやることも出来なかった。
俺は横たわったまま動こうとしない親父を強引に起こし上げ、精神科の病院へ向かった。

結果…

親父の病は鬱ではなかった。

待合室で待っていた俺に診察室から声が掛かり、親父の横に立って先生の説明を聞いた。

『お父さんの病気、確かに気持ちの問題はあるかもしれないけど…、
 今みたいな状態になる時って、常にお酒が絡んでいないですか?』

その通りだった。

親父の病気は、アルコール依存症だった。
後述するが、俺はこの時はまだ、この病があんなに恐ろしく忌々しいものとは思いもしなかった。

先生は親父に言った。

『お父さんさ…、お父さんはもう一生分の酒全部飲んじゃって、
 身体が受け入れられなくなっちゃったんだね。身体が対応しないから、もう止めようね』

と。
精神安定剤と睡眠薬、そして抗酒剤を処方してもらって定期的に通院する生活が始まった。
抗酒剤というのは、言わば酒を飲めなくする薬だ。これを飲んだ後でアルコールを摂ると、
例えそれが微量でも一気に大量摂取したような状況になる。
心臓がバクバクし出し、立つことさえままならなくなるという。
つまりはその恐怖感で酒を断たせようとする劇薬だ。

親父もこの頃になってようやく自分の身に起きた異変を意識し、
クリニックにもしっかり通院し、酒を抜く努力を始めた。
そして次第に体力も回復し、また店を開けるようになった。

…が、それも長くは続かなかった。



(つづく)

2006.03.12 Sun


行ってきました。20060313075658

取り留めのないシーンにも、自然と涙が出てくるんです。

無精卵を必死にあたため続けた記憶が甦ってきたり…(*´σー`)

淳平と空の心には、何が刻まれたかな?

笑い声しか聞こえてこなかったけどもorz(笑)

2006.02.19 Sun


良いモノ見ました。
今日の昼間やってた、テレ朝「ドラえもん誕生秘話~藤子・F・不二雄からの手紙」
という番組。
残念ながら途中からだったけど、引き込まれて最後まで。

ドラえもんは、僕の子供時代の全てだったからね。
まだ漫画の世界だけの頃から夢中になって、テレビ放映は第一回目から見た。
単行本を大いばりで読む為の親への理由付けは漢字の勉強。
事実、全て漢字にふりがなを振ってあるてんとう虫コミックスでたくさんの漢字を覚えた。
厳しかったお母さんも、ドラえもんだけはすすんで読ませてくれた。
藤子プロの住所を調べて、年末には毎年年賀状を書いた。
キャラクター勢揃いの年賀状の返事が、毎年必ず返ってくるのに感動した。

中学に上がって以降、次第に疎遠になった。
しかし、ドラえもんはずっと子供たちの心の中で生き続け、
今も子供たちの話題の中心にいるのだ。

物凄いことだよね。
僕の子供2人が、リアルタイムで見て育っているんだから。
次男坊の空(小2)なんてホントに大好きで、枕元には常に単行本が転がってる。
それを僕も改めて読んだりしてる(^-^)

超満員、立錐の余地もない浅草東宝の映画館で観た、
映画第一作「のび太の恐竜」の感動は今でも忘れない。

それが2006年版として新たにリメークされて公開されるっていうのだから!感無量です。
こりゃ、オレが連れてってやるっきゃないよね!d(^o^)b

いやいや、家族みんなで行きましょう!
泣きましょう!ねぇ、マコちゃんq(゜д゜)チッチキチー

今日のテレビも、実に感動的でした。
もし録画されている方いたら、是非DVDで欲しいなぁ…。
子供に見せてあげたいです(о´▽`о)

2006.01.18 Wed


20060118071503
昨日一斉投下した、つけ麺用新生地の試作麺たち。
朝からその反応が気になってしょうがないヾ(゜д゜)ノ゛
確実に昨日中に試してくれているであろう、「ラーメン むろや」の渕上店主に電話した。
僕にとって、特別な思い入れのあるお店だp(^o^)q

新麺の感想はまだ食べられていないお客さん達の心理に影響を及ぼしたくないので割愛する。
その電話の中で渕上さんから、
「そう言えばねぇ、また新しい裏メニュー作ったんだよね(笑)」
と言われたので、
「じゃあ後で行きますよっ!!」
となりました q(゜д゜)チッチキチー

「醍醐」で辛つけ麺大盛りご飯セット+杏仁豆腐を平らげ、
三田のあんちゃんに別れを告げたその足でΣ(゜Д゜;エーッ!向かった(笑)

14時ちょい前に到着すると、ちょうどお客さんが切れたところだった。
椅子の乱れが、直前まで忙しかった様子を物語る。
ほとんど口コミだけでここまできたのだから、頑張っているなぁと思う。
静寂は束の間で、かと言って決して多くはないけれど、確実に人も向かってくるしね(^_-)

カラス(1/15)の新麺で

裏メニュー「坦々つけ麺」

相変わらず、非凡なセンスだなぁと思う(^-^)b
ちょい甘ちょいピリ辛の坦々醤が入り、若干甘味を帯びたつけ汁は美味しい(^o^)

けど、やっぱりむろやのつけ麺には、一切の甘味はいらないなぁと思った。

もしつけ麺のイメージが、甘くて酸っぱいつけ汁だけ!って人がいたら、
是非むろやのつけ麺も一度、食べてみて欲しいなo(^-^)o

僕の大好きな、むろやのつけそば。

とか言いながら、醤油らーめんはもっと好きなんですけどもヾ(*´∀`)ノ

2005.12.09 Fri

タイトル: ◆今こんなのに
[未分類]

20051209213004
ちょっとだけ載っかってます。
見かけたらめくってみて(゜o゜)

2005.11.06 Sun

タイトル: ◆一体感
[未分類]

唯一と言っても良いかもしれない、僕が飲みに行くお店、西浅草の「ちゃま」に。
今日は月2ほどの恒例で行なわれている生ライブの日。
ここ2、3日程怠けて店を閉めている親父を元気づける為にさりげなく誘ったのだ。

今日のライブにはゲストとして瀬籐正則さんの名前があり、僕も以前この「ちゃま」で唄われているところを見たことがある。
それは初めてヨシケンを見た時の印象に近いものがあり、非常に引き込まれる力を感じた。
実は親父がこの瀬籐ちゃんの大ファンでね。
僕も改めてあの時感じた気持ちを再認したかったのだ。

実に、実に良かったね。
20051106001508

瀬籐さんの唄に「君の笑顔」という曲があるのだけど、「ちゃま」は決して大きくない店だけど、気持ち良いくらいの一体感を感じるんだよね。

機会があれば、後藤一派の試合後に流してみたいなぁ。。
血みどろの闘いの後に、お客さんと共に有する一体感。。
そこには何とも言えない清々しさがある気がする。


瀬藤正則オフィシャルサイト http://www.setou.com/

2005.10.27 Thu

タイトル: ◆ごめんなさぁーい
[未分類]

20051027224821
いきなりグロくてゴメン。。
週明けても、想像以上に疲れております(+o+)
タイトルと写真のみで放置したまんまのも結構あるでしょ(^o^;
もちろん面白く仕上げるつもりなのです(^o^)b

が。。いまムリ(☆。☆)

ということで、カラスのラーメンライフは日々続いてはいるものの、当面新規のエントリーはモブログでUP出来る時だけにさせてもらう予定です。
写真のみのトコは随時UPさせていただきますので、後ほど必ず読んでくださいよo(^o^)/

20051027225107
ちなみにこちらが試合前ね(^_-)

2005.08.08 Mon

タイトル: ◆更新遅れは。。(;_;)
[未分類]

20050808113303
こいつのせいです(;_;)

4日ほど放置していたんだけど、どうにも痛みが取れないので(@_@;)

金曜日に観念して病院行ったところ、左手首骨折してました(T_T)

仕事は休まずやってるものの仲間には相当迷惑掛けちゃってるし(^o^;何しろやたらと疲れるんだわ(☆。☆)

ペースアップまでもうちょい待ってくださいね。
Skin:Babyish
 
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